茶道は仏教みたいなものですか?

Writer: admin Type: duanmo Date: 2019-03-06 00:00
茶道は仏教みたいなものですか?茶人が求める「わびさびの境地」は悟りの境地ですか?共感した1###「仏教の悟り」の境地とは、ゴータマ・ブッダの境地のことです。ブッダなら日本の茶道をどう思われたか?茶道という趣味性が高く、富裕な人たちのコミュニティーの中でのみ特殊に発展した美意識を様式美に昇華したものですよね。もてなしの心などはブッダの教えにも適いますが、ものに執着する態度はブッダの教えとは異なりますね。こだわりやはからいを排するという考え方も初期の茶人にはあったのかもしれませんが、いま残っている茶道文化は極めて高踏的だし裕福な人たちの嗜み・高級な趣味になっています。中国で生まれた語句である、玩物喪志という語が仏教とも親和性のある語だと思います。仙人のように、世俗から離れ、花鳥風月を愛し、風流を尊ぶ、自然豊かな田舎の川のほとりで酒でも飲みながら釣り糸を垂れる、こういうイメージが仏教の悟り、仏教の説くところの覚者と誤解されています。これは道教です。日本仏教の悟り観には道教の悟り観が混入しているんです。ナイス1
###道教っぽいですね確かに###南伝仏教の出家は、立つ時はこのように立ち、歩く時はこのように歩き、振り向く時はこのように振り向くというように、すべての立ち居振る舞いに厳しい決まりがあり、行動は実に美しいものです。それは起きている間は四六時中、全身に、足の先から髪の毛の先まで神経を行き渡らせ、常自覚を維持するためです。同じようにすべての立ち居振る舞いに神経を行き渡らせ、常自覚を維持する茶道を始めた人は、過去世で何回も、ブッダの仏教の比丘であったことがある人で、そのように常自覚を維持する行動が、性質になっていた人だと思います。同じ意味で茶の湯は、ブッダの仏教の精神が身に付いていた武士の間に広まりました。(庶民の間に広まった宗派は、ブッダの仏教と違います)。わび、さび、つまり簡素で静かなことは、仏教で遠離や知足などで、重要な実践項目です。ナイス0
###茶道の精神部分は神道に通じています。※海外仏教には、わびさびという思想はないですが、これは仏教とはちがう世界なのです。ナイス0
###茶道は日本人の美意識の集大成で、総合芸術です。侘び 華美を排し質素な様寂び 自然のまま朽ちていく様ただ家元を教祖のように仰ぎ、まるで宗教のように信仰するオバハンは大勢います。ウザいです。利休や中興の祖の命日には特別な作法があったりします。テメエの家の墓参りもまともに出来てないのに、他人の家の先祖を拝むことには激しく抵抗があります。ナイス0
###一期一会が、一瞬、一瞬に生じては滅する現象との出会い、たった一回切りの二度とない出会いという認識に立てたものだとするなら、仏教とも通じるものがあるのではないでしょうか。悟りとまではいかないまでも。ナイス0
###「侘・寂」は、仏教の悟りの境地ではありませんが、『相手を大切に想う心』を表現したひとつの境地の到達点ではあると思います。ナイス0

 

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